石書集録・1は騎士団本部・図書館で見られる任務アイテムである。
本文[]
当初、岩王が降りて、大波を退治、天衡を立ち、川を鎮める。民が遂に安定し、山を開き、玉を取り、岩を破り四方を繋ぐ。曰く、玉を孕めば山が輝く、故に「山輝砦」と名付けられる。当時、天衡の民は採掘を生業とし、千里に及ぶまで貧困者はいなかったという。
注:山輝砦は現在「山輝岩」と転じ、退廃し岩と化して、当初の風貌を再び拝めることはできなくなった[Note 1]。
…
塵王魔神の名は帰終という。岩王と親しいが故、「帰終機」という強弩を設置し天衡を守る。また民を率い、天衡の北へと住まい、田を耕す。全盛期は交通が発達し、町や田が石門まで絶えず続いた。帰終は岩王にこう告げる、「我が離の民、皆故郷に帰ったかの如く安穏に暮らしている。ここを帰離原と名付けてはいかがか」と、それに岩王は頷く。これが帰離原の名の由来である。
注:その後、魔神が地位を巡る大乱を起こす。諸仙人が力を尽くし帰離原を死守したが、混乱の中、帰離原も戦の苦難に見舞われ、塵の神も死に至った。故に岩王帝君はその民を率いて天衡の南へと移した。以来、帰離原は廃墟となり、いつしかの繁栄を失ってしまった。
…
岩王は諸魔神を鎮め、仙人夜叉は本位に戻り、璃月に再び平和が訪れた。魔神千年の混戦[Note 2]で、桑畑が壊され、璃月の民は商業、手工業を生業とした。その内優れたものが手を組み、「七星」という団体を発足。これをもって璃月港の雛形が成り立った。七星の管轄内は八門[Note 3]があり、あらゆる業種を含む。また、千岩軍が七星に仕え、内では民を取締り、外では妖を退治した。これが岩王帝君の統治である。
注釈[]
- ↑ 山輝砦 (中国語: 山辉砦 Shānhuī Zhài; zh_tn: 山輝砦)「砦」が「岩」に簡略化され、山輝岩 (中国語: 山辉岩 Shānhuī Yán; zh_tn: 山の輝きの断崖、岩)となりました。その後、「輝」を削除して山岩 (中国語: 山岩 Shān Yán)に変えました。
- ↑ 中国語の原文では、「何百年も続く」と訳されているが、zh_tn: 数千年、数千年、非常に長い時間; 千年と訳され、「何百年も続く」という意味である。魔神戦争の全期間を知ることは現在の情報では不可能だが、確かに1700年以上続いた。
- ↑ 中国語の原文では、「既知のすべての取引」を明示的に八門 (中国語: 八门; zh_tn: Eight Gates)と呼んでいる。漢文で読むとzh_tn: 七星の管理下にあるのは八貿易(八門)で、その間に国内外を問わずすべての貿易が計上される。; 七星下辖又有八门,内外诸业无所不包。
その他の言語[]
言語 | 正式名称 |
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日本語 | 石書集録・1 Sekishoshuuroku - Ichi[!][!] |
中国語 (簡体字) | 石书辑录・卷一 Shíshū Jílù ・ Juàn Yī |
中国語 (繁体字) | 石書輯錄・卷一 Shíshū Jílù ・ Juàn Yī |
英語 | Stone Tablet Compilations: Vol. I |
韓国語 | 석서 수록집・권1 Seokseo Surokjip - Gwon Il |
スペイン語 | Recopilación de escrituras en piedra (I) |
フランス語 | Inscriptions sur tablette de pierre - I |
ロシア語 | Сборник каменных табличек: Часть 1 Sbornik kamennykh tablichek: Chast' 1 |
タイ語 | บันทึกรวมศิลา (I) |
ベトナム語 | Thạch Thư Tập Lục (I) |
ドイツ語 | Steintafelberichte – Band I |
インドネシア語 | Kumpulan Kitab Batu: Vol. I |
ポルトガル語 | Compilação de Livros de Pedra - Volume I |
トルコ語 | Taş Tablet Derlemeleri: Cilt I |
イタリア語 | Incisioni su pietra: Vol. I |
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